Archive for 2011年6月23日

dancing as thinking

2011/6/23




舞台作品だけでなく、自身のアトリエを拠点としながら、さまざまなワークショップやダンスコスチュームブランド”run”を立ち上げるなどユニークな活動を展開している山田うんさん。
今、彼女がトライしているのがダンスと数学のコラボレーション「Dancing as Thinking」。
相手は若手の数学者は森田真生さん。一見対局の存在にある数学とダンスと地平から「Thinking=思う事」を再構築し、人のThinkingが内包しているスペクトラムの広がりを描き出すこと、数学的行為と踊りの「あいだ」に、新しい”Thinking”の可能性を探っていくことが目的。
6月22日 森下スタジオで開催された同ワークショップに参加してみた。
スタジオをくぐると、そこにはゆる〜い雰囲気が流れていた。寝そべったり笑ったり、とても数学のワークショップに見えないところにまず好感◎。さらにいつのまにかこれもゆる〜く会が始まる。




テーマは「文字の再構築」
森田さんの文字の成り立ちについての話。文字がうまれる以前と以降では人のコミュニケーションに大きな変化が生まれたという主旨。
文字が生まれたのは、当初は収穫した物を数えたり記録するための手段だった。文字の形もより象形であった。
文字が生まれることで人の生活にも余裕が生まれ文化が発達した。経済活動(交換)が活発になり、記録物の量も増え質もあがっていくうちに、複製の技術がうまれる。複製にもっとも的した表現として西洋ではアルファベット26文字の組み合わせで状況や感情を表現しはじめた。それは、西洋の話。比べて東洋の漢字はどうだったか。アルファベットはその文字ひとつひとつに意味をもたない単なる記号であるのに対し、漢字は1文字1文字が意味をもつことで現在に至っている。ところが漢字が日本に伝わってきた時どうしたかというと、ひとつの言葉に対して、この漢字似合うかな〜などと当て込む遊びをしながら自然に残った漢字が今に至っているという。勿論、西洋同様印刷や流通に適した文字が生き残ったはずであるし、時のリーダーの主観も反映しているとは思うが、西洋よりも文字の背景にだーっと広がる風景や成り立ちをイメージしやすい。
ところが、今使われている漢字でしっくりこないものが結構あるよね〜という山田うんさんの話。
だったら、今回は漢字を一旦解体して本来どうやってひとつの文字が成立してきたのかとか、その語源に迫ってみようTHINKINGしてみようという試み。




さてどうやるか?しかも最も文字とは遠いダンスで?本来言葉で表現できない部分をダンスやアートが担っているわけで、なかなか難しいアプローチ。しかし、それをTHINKINGしていくのがワークショップの目的でもある。参加者みんなでディスカッション。出てきたのが、
まずは、うんさんがひとりのダンサーにある言葉の連鎖からうまれるシークエンスを振り付けする。他の参加者がスタジオの外に退出してその状況を見れない。数分後に戻ってきて、今後は参加者が同じ言葉の組み合わせで自分で踊りをつくる。最後にホンモノとどう違うかを比べてみようという試み。
課題:ぶるん ととと しゅー バッ 閉じる ふわ〜 ひらひら ぺたぺた ぽたっぽたっ
(※ 一部 ニュアンスが違うことご了承ください)
やってみる。それぞれ、言葉に対するイメージが異なる。
最後に、ホンモノの実演。ああ、そうだったんだ〜。それぞれ違うのは当たり前で正解は無いのだが、ホンモノを見るとすっきりするのはなんでだろう。それが文字が生まれて今に発展している理由か。生き残っている文字もトップが強引に決めたものも多いだろうか、自然に淘汰され洗練されてしっくりするものが残っているに違いない。
この後、うんさんが黒板にずらずらっと彼女がしっくりきていないと感じる漢字をかきはじめた。線が増えてクモの巣みたいになった「手」。曲線でぐちゃぐちゃになって「忙」。これじゃ通じないだろう(笑)けど、誰でも普段、なんでこの漢字なんだろうと疑問に思いながらも使っている漢字も結構ある。絵文字みたいに携帯で選べたらいいのに、とか、後半は、参加者のひとりの名字を例に、その人のもっている印象や雰囲気にしっくりするような文字をみんなで考えるのに花が咲いた、、、。


このワークショップには正解はないし、答えらしきものはない。今、当たり前に使っているモノの歴史やルーツを探り理解を深めつつも、
なんで、今に至ったのかをTHINKINGし、しっくりこないものについては、もう一回つくってみてもいいんじゃない という、物事が生まれる瞬間に立ち返ろうとする時間である。
もしかしたら、日本の今のいろんな行き詰まった状況にも、こんな遊び心のある時間が少しあるだけでも、少し新鮮な空気が吹き込まれるのかなと感じた。
ややぴんときた方、是非、次回参加してみてください。


dancing as thinking
http://dancingasthinking.com/
山田うん公式HP
http://yamadaun.jp/index/yamadaun.html


LIVE PAINTING PERFORMANCE!





ノリト西村さんの最新ライブペインティング動画が届きました。


西村さんは国内外で活動を展開する画家/アーティスト。
その表現は異質で、
様々なジャンルの音楽家たちと共に即興でライブステージに立ち、絵筆あるいは素手そのものを筆として、あたかも音楽家の一員の如く振る舞い、
訓練されたダンサーのように身体を躍動させ今そこに、生まれては消えゆく音楽と拮抗しながら、”定着を拒む映像”のようなアクティブな絵を表出。
コラボレーションする相手もジャズピアニストの山下洋輔さんに始まり、ターンテーブル音楽の大友良英さん、能楽大鼓の大倉正之助さん、UFOなど異種混合です。


最近、アートカンパニー ヤッソジャパンを設立しさらに活動に幅を広げようとしています。
http://www.iris.dti.ne.jp/norito/about.html


8月11日に青山CAYにて生ライブパフォーマンスが見られます。
映像を見てピンときた方、TOKYOではめったにない機会ですので是非是非ご覧ください。
NU;では、ライブの前後に西村さんを取材する予定です。


11.06.19 [ UPDATE ] ダウンロード方法について

2011/6/19

コンテンツダウンロード方法

① 「会員登録」 ※必須※
当サイトのコンテンツをダウンロードで購入する場合は、まず会員登録が必要となります。
サイトの上部メインメニュー内「members」をクリック後、「新規ご入会はこちら」より会員登録をお済ませください。


② 「 カートに入れる」
会員登録が済みましたら、購入したいコンテンツの詳細ページにて、「カートへ入れる」をクリックし、利用規約に同意し、購入手続きへ進みます。
(例) TOKYO YOGA MUSIC vol:001 http://nu-life.jp/?p=602




③ 「決済方法を選択」
決済方法は、銀行振込、PayPalによるクレジット決済がご利用頂けます。PayPalとは世界中で2億3千万人を超えるUSERが利用できるオンライン決済サービスです。より便利により安心してご利用いただけます。
銀行振込によるご入金の場合、通常2営業日以内のご確認となります。
楽曲の個数や支払い条件等を選んだら、決済画面の「上記内容で注文する」ボタンをクリックし、購入手続きが終了です。


④ 「送信完了画面」


購入方法が決定すると送信完了画面が表示され、お客様の元に確認メールが送信されます。尚、その際にお客様の会員情報内のメールアドレスにお間違えがないかどうか、ご確認をお願いいたします。


⑤ 「送信完了画面」と「ダウンロードが可能になりましたメール」
手続きが完了次第、「ダウンロードが可能になりましたメール」が届き、メインメニュー →「members」よりよりダウンロードが可能になります。
※ダウンロード可能な日数は最短で3日を設定しております。商品により異なりますので、ご注意下さい。


⑥ ダウンロード
購入したコンテンツ名の下、「最新版をダウンロード」をクリックして選択するとダウンロード開始です。



※購入したコンテンツファイル数やお客様のインターネット環境によって、ダウンロード時間は異なりますので、ご注意下さい。




[NU;life ] 山田周生さんのインタビューを掲載

2011/6/11

てんぷら油で地球一周 
バイオディーゼルアドベンチャー 山田周生さんのインタビューを掲載しました。
http://nu-life.jp/?p=387


世界一周の後、2年かけた日本一周のゴール間際で岩手で震災に遭遇。
燃料が確保できない被災地で、廃食油で燃料をつくり毎日往復140kmの距離を移動しながら、
さまざまな救援・支援活動を行ってきた山田さん。
ロハスデザイン大賞、ROCKS TOKYO出演のため、一時東京に来ていた時にお時間を頂き、
取材させていただきました。


どうぞ、ご覧ください。

[NU;cafe ] 金井真介氏のインタビューを掲載

くらやみのソーシャルエンターテイメント 
ダイアローグ・イン・ザ・ダーク代表 金井真介さんのインタビューを掲載しました。
http://nu-life.jp/?p=1303


六本木ヒルズ アカデミーヒルズ40Fで開催されたDID 特別プログラム「エマージェンシー・ワークショップ」直後、
ワークショップについて、震災への対応、日本がすべきこと、約1時間に渡って語っていただきました。


ありがとうございました。

biodieseladventure

2011/6/10

貰い受けた廃食油だけで地球一周を達成した山田さんは、その後、世界での経験を国内でシェアしたいとの思いから、約2年かけて日本一周の旅を続け、112カ所で講演を行う他、循環型ライフスタイルやエネルギーの可能性に関してリサーチ活動を行っていた。この間出会った人の数 なんと 10,000人以上…驚異的なつながり力だ。
ところがその日本一周の最中、2011年3月11日 それは起こった。
日本一周のゴール間近だった山田周生さんは、岩手県花巻市東和町の自然農園「ウレシパモシリ」を訪問中に地震に遭遇した。
 地震の影響によりライフラインが途絶え、電気がない、ガソリンがないという究極の状況で活躍したのは山田さんと地球を一周したバイオディーゼルカー「VASCO-5」。廃食油を原料に、車の燃料となるバイオディーゼル燃料を作るオリジナル精製機を車の荷台に車載しているため、廃油さえあれば、自分で燃料を作り、自車に給油できる。満載すれば3000kmを無給油で走行可能なのだ。山田さんはその特徴を最大限生かして、支援活動を決意した。
 まず近所の商店街にある豆腐屋さんの廃食油を提供いただき、すぐに沿岸部の被災地の状況を確かめようと、70km離れた被災地へ向かった。それからは、毎日遅く迄、現地を往復し情報を集めては、花巻の商店街や農家のネットワークの協力のもと、必要な緊急物資を集めては送り届け、深夜までかけて自身のブログで情報を発信するという日々が続く。
山田さんが凄いのはその類い稀なき行動力で培ってきた本当のネットワーク。ブログや電話で呼びかけると、数日のうちに毎日100箱以上の物資が集まった。正確な情報コントロールのもと、水や食料、ガソリンなどに始まり、衣類、自転車、ソーラーパネル、シュラフ、テント、バックパック、など、国や県の支援でまかなえきれていない物資を必要な箇所に必要な分量だけ届け続けた。岩手県の山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市、宮城県の気仙沼市まで…。甚大な被害を受けた広い沿岸部を隈無く走り続けた。高橋尚子さんの「スマイルアフリカプロジェクト」に協力を呼びかけ、1500足のシューズも調達し全て配布した。被災者のニーズは日々変わる。4月後半に入り、惨憺たる瓦礫の山を見続け避難所での不自由な生活で相当のストレスを抱える被災者に対し、山田さんは、メイクアップアーティストやマッサージ師に呼びかけ、「心と身体のケア」を継続的にコーディネートしている他、被災したミュージシャンへ楽器を届ける「楽器を贈るプロジェクト」なども行う。被災地に活気を取り戻そうと、音楽なども交えたフェスティバルイベント開催にも着手しはじめた。
「支援」から「復興」への転換。

「被災地が希望をもって立ち上がるための提案」
– 廃食油で走る車を使った被災地救援活動を終えて-

– 地震直後の状況を教えてください。-

丁度、岩手県花巻市にある自然農家さん(ウレシパモシリ)を訪問していました。到着したのは14時過ぎだったかと思います。みそ作りをお手伝いしていたら地震が起こりました。3〜4分家がものすごくガタガタ揺れていて止まらなかったので慌てて外に出て状況を確認しました。もっと大きな縦揺れの地震が来るんじゃないかと身構えていました。

-すぐ電気、水道などライフラインは停止したわけですか?-

すぐに電気は停電しました。情報が知りたかったので手巻きで発電するラジオを持ってきて聴いたら、M8.0であることがわかりました(その後M9.0に修正)。津波が来るので逃げてくださいという放送が入っていたのを覚えています。沿岸部までは70kmほど離れていて自分がいる場所の被害は心配していなかったのですが、携帯がつながらない一般電話も繋がらない、電気も無いテレビもないという状況で、余震もおさまらなかったので、動かないほうがいいと判断。その日はロウソクをつけて待機するしかなかったわけです。
翌日、農家さんと一緒に、町へ行ったのですが、町役場では被害の様子を把握できていませんでした。次に市役所に行ったら 非常電源が確保されていて、避難している住民や携帯を充電に来ている人々がいました。そこではじめてテレビを観て津波の被害状況を確認することができました。
自分の車はガソリンが無くても走れる車なので、何かお手伝いできることはないか市の職員の方々に聞いてみたりしていたのですが、しばらく待ったものの皆混乱していて、よく分からないという返答でした。とにかく市内の信号の電源も落ちており店もシャッターを閉めたまま空いていない、交通量も極端に少なく、情報を求めて住民が市役所に押し寄せているような状況でした。

issue-002 RE-THINK IN THE DARKNESS

2011/6/5

2011年3月11日…この日を境に、日本を支えていた「エネルギーの安定供給」という神話が崩れた。 (さらに…)

nature_002

nature_002


空間の温度感/質量/スケール感が伝えられる環境音にこだわるアーティスト Kumachiの [nature] 作品。
nature_002 (6分30秒)


シンプルな音数ながらも空間が伝わってくるし、静寂な中にも時間の流れとか身体感覚の高揚感が伝わる。自分で建てた山小屋にひっそり暮らすワイルドガイのカッコイイ後ろ姿、薪が燃える匂い、ピーンとはりつめた空気感。早朝、獲物を探しに山深く入って行くとこういう音が聞こえてくるんだろうなという感じ。あるいは、低空飛行で空を飛びながら見えてくる厳格な自然のスケール感。


たいていの場合、自然音は、ずっと聞いていると差し障りなさすぎて、空気のようにうんざりしてくるものだけど、アーティストの意図というパンチが入っているし伝えたいイメージがクリアである。



視聴は<こちら>から

dialog_in_the_dark

2011/6/2

「破壊の暗闇から世界にアピールせよ!」
– 震災とEMERGENCY WORKSHOP-

5月10日から20日、六本木ヒルズ40Fアカデミーヒルズ特設ルームにてダイアログ・イン・ザ・ダークによるエマージェンシー・ワークショップが開催され話題を集めた。ダイアローグ・イン・ザ・ダークは、”暗闇”という特異な空間を通じてヒトの本来的なコミュニケーションを伝えてソーシャルエンターテイメントを提供するプロジェクト。今回はイベント直後に、DID代表 金井真介氏を直撃し、震災後のDIDの対応と今回のワークショップに至る経緯、そして今後の日本が向かうべく方向性について語っていただいた。ひとつひとつの言葉を慎重に選び、理路整然かつ熱く語る姿からは、視覚障害者たちとともに、ひとつひとつトライ&エラーを繰り返しながら、社会にとって大切な場をつくり着実に実績を残してきた自信が説得力をもって伝わってきた。特に、起こってしまった震災と被災者に向けて、今後、日本人は何をすべきかについては、しばらく沈黙があった後、独自の視座からの意見を切々と具体的に語っていただいた。

※ 体験記は、特集02 「暗闇で考える」に掲載。

– 今回の DIALOG EMERGENCY WORKSHOPは、通常のDIDプログラムとは異なり、3・11の震災を意識したものであり、災害時の対応の要素が強く現れていたと感じました。-

(実はまだDIDを体験されていない方もいるかと思いますので、)DIDについて説明します。DIDは、22年前にドイツで始まったイベントで、もうすでに30カ国600万人ぐらいが体験しているソーシャルエンターテイメントと呼ばれるプロジェクトなんです。個人の楽しみだけではなくて社会の何かをよくする方向に繋げようということでして、人と人が助け合うとか人がいて良かったなあと思えることを暗闇の中で実感するプロジェクトでもあります。
日本では1999年から始めており、これまでは単発のイベントとして続けてきたのですが、2年前か東京の外苑前に拠点を設け長期的な視野のもとに運営しております。
コンセプトは大きく分けて3つあります。
ひとつは、完全な暗闇を提供していること。
ふたつめは、グループで体験すること。内部には森、都市、カフェだとか様々なしつらえが施されており、日常の体験を視覚以外で体験できます。
3つめの大きなコンセプトとしては、暗闇の中で誰しもが視覚を使わないで対話していくわけですが、なかなか普段通りに動けないわけですよね。その参加者達を誘導するのが実は視覚障害者だという点です。障害という言葉はどうも腑に落ちない気持ちがするのですが、”普段から目を使っていなくて快適に過ごしている人”をトレーニングしていただいて参加者を誘導しながら楽しんで頂くというエンターテイメントであるわけです。
3月11日は東京でもずいぶん揺れまして、その時に凄いなと思ったことがいくつかあったのですが、視覚障害者の方々って地震はあまり好きじゃないんですよね。ここにあるものが右や左に移動してしまうと空間の把握にずれが生じ把握できないので、どちらかというと揺れるのはあまり好ましくない。
ところが丁度その日に、ドイツから視覚障害者のトレーナー(女性)が来日してDID Japanで研修中だったんですね。彼女は初めて地震に遭い
津波という言葉を聞き、もう凄く怖かったらしいんですよ。で、その彼女に対して日本の視覚障害者のアテンドたちは、「日本は火山国で毎日揺れてるんだから仕方が無いよ!」とか原発の事故に対しても「よくあるんだよ!」といっていて、ドイツの方を勇気づけようとしていたんですよね。これに対して自分は驚きました。彼ら(視覚障害者のアテンド達)はどちらかというとこれまでの人生で辛いことも多かったろうし社会的マイノリティであるが故にいろいろな経験をこれまでもしてきたと思われるのですが、その一番の経験者達が一番怖がっている人に寄り添う力を見ていて凄いな!って思ったんですよ。
地震後は、なかなか社会的にもDIDを続けられる空気ではなかったので、1週間だけお休みを頂いておりました。この期間にアテンドたちは、こんな不安な東京でDIDを続けるのは非常に困難なので、実家に帰るかなど実際に話し合ってみたら「帰りたくない!」ということでした。どうしてかっていうと
確かに実家に帰れば安心安全なんだけれども、自分の能力をもってして社会に関わる仕事はないと口々に言われました。要はDIDにいると”見えないからこそ”普通の健常者よりも秀でた能力を職業としてできることはないから帰らない!!と言われました。じゃあ、やろうということで1週間後の18日からすぐ再開したわけです。再開してみると、今度はお客さんから学びがあって、実はキャンセルや払い戻しがあって困難な時期があったんですけど、福島の被災地から東京に避難している方がいらして暗闇で気づいたことがあったようで、「やはり自分は故郷が好きだから故郷に戻って復興の手伝いをしようと決めました」と言って帰られたわけです。あとは仙台の方で、「もしゆくゆく復興後東京に来れる機会があったら、最初にDIDに来たい!」とか…。そうか、なんか求められてるんだなあっていうことがあえて分かったのです。
もうひとつは、これまでの12年間で実は約75,000人が体験されているわけで、しかも1ユニット5〜8名での体験ですから、粛々と繰り返してきたわけですけれども、その75000人の人々に対して3月12日にTwitterの中で、「暗闇の中で気がついた声を掛け合うこと、助け合い協力することを今こそ明るい中でも実践してみましょう」とTweetしたらものすごい数のリツイートがあり、DIDを思い出したよ!って返事が被災地から東京から返ってきたわけです。
だから人はこれまで当たり前だと思っていた時には気づかなかったような何も価値を生まなかったような”目に見えない価値”が、もう一度ここで大切であるということを一瞬にして皆理解していました。
じゃ、ダイアログで何かできないかと始めたのが、このEMERGENCY WORKSHOPの発端なんです。