issue-002 RE-THINK IN THE DARKNESS

2011年3月11日…この日を境に、日本を支えていた「エネルギーの安定供給」という神話が崩れた。
電車が止り、携帯は通じない、帰るか帰るまいか混乱し右往左往する人々、なり続ける非常警報、売り切れる自転車。街頭や信号も消えた国道は、夜遅いというのに徒歩で長距離を帰宅する人々による渋滞…数日経過しても、ガソリンは手に入らず長蛇の列、あさった人々の買い占めにより米など主食入手への危機感も迫った。スーパーや商店の戸棚も閑散。水さえ手に入らない。誰が、この平穏な都市にヤミの世界がやってくることを想像できただろうか。
5月中旬現在でも、都市は各所で照度が落ちたまま。しかし、この平常夜と比較し7〜8割の明るさの都市生活に心から困っている人はいるだろうか。女性にとっての身の危険、商店のセキュリティなど多少問題はあるが、暗くなったといってもユーロ圏内諸国の夜と比べたら間違いなく明るい。モスクワ空港などは平時でももっと暗い。少しの注意力を傾ければ危険回避できるヤミであり、ほどよい緊張感ともいえる。
ところで、本当に闇は怖い存在なのだろうか。不安をかきたてる空間なのだろうか。
日本は、これから闇から立ち上がっていかねばならない。
今回は、いくつかの個人的エピソードを通じて闇について再考し闇だからこそ始められることを考えてみたい。



2年前、僕は知人らとともに、月一回の満月の夜に高尾山を一晩かけて歩く満月トレッキングに何度か参加していた。
深夜の終電近い電車で高尾駅で降り、そこからゆっくり山の頂上まで登って降りると丁度よく始発が走るのだ。


どこの山もそうだろうが、民家エリアを抜けて、登山口を過ぎれば、高尾もまた真っ暗だ。
不安ながら頭に装着したヘッドライトのみを頼りに一歩一歩登っていく。
静寂な空間に足音と衣服の葉ずれの音だけが聞こえる。
そのうち3合目付近を過ぎるころには、普段では聞こえない感じ取る事ができない音が聞こえてくる。
そして頭上遥か遠くにある満月の光の貴重さを感じはじめる。
数種類の啼き声の繊細なアンサンブル。森の奥から響く、もずや山鳩の鳴き声。湧き水の流れる音。
沈黙の世界と思いきや、実は、ものすごく豊穣な音気配の空間だ。


満月は煌々と木々と山肌、山道も照らす。本当に明るい。ヘッドライトさえ全く不要になるほど。
だからこそ、月が雲に隠れた時の真っ暗な世界と、雲から再び現れ照らし出した時の明るさの差異は明確だ。
そして、青白バックに浮かび上がる木々のシルエットは、本当に美しく幻想的である。
きらきら青白く光る山肌を見ていると、月の引力によって木の内部で起こる成長力がイメージされる。
あまりにも青く光の温度が温かいので大げさではなく山でなく海にいるんじゃないかとの錯覚さえ覚えた時もある。


最も不思議なのは、からだの重力。約4〜5時間歩いているのになぜか軽い。
これは、ほぼ寝ずに朝向かう仕事場でも、そのテンションが続き何故か元気なのであった。
山がからだの中の邪気を吸い上げてくれるのであろうか?
五感がいつもより繊細に総動員で、見えない世界を感じとろうとするため、普段使わっていない脳の感覚部野や
使っていない神経細胞などが活性化することで、からだが蘇った感覚になるのかもしれない。


自然治癒力をもつ空間