KENTARO

[ NU;cafe ] クリエーター・インタビュー

踊れて弾けるダンスがいい!

KENTARO!! (ダンサー/コレオグラファー/コンポーザー) 

コンテンポラリーダンスの世界で独自の路線を突き進むKENATARO!!。
もともとHIPHOPダンサーとして数々のショーステージを経験してきた彼のダンステクニックは、当初、コンテンポラリーダンスの中で異色と見られながらも、独特の弾き語り風な世界観で構築される作品性とその存在感が高く評価され、2008年,横浜ダンスコレクションRにて最優秀賞の受賞以来、国内でも海外でもその勢いは増すばかりで、ダンスでは珍しい2週間のロングラン公演、ミックスカルチャーイベントのオーガナイズ、若手のダンサーを育成するためのキュレターなど、ダンスという分野全体の活性化にも切り込み続けている。
”唄あり踊りあり芝居あり”最大の特徴は、すべて自分でつくってしまう詩と楽曲の面白さ。自身は「まだまだ素人なんで」と謙遜するが、ミュージシャンがつくろうとしても、なかなかつくれない独特の身体性・日常への視点に根ざした繊細でユニークな空気感を伝える。
公演後の物販では、その反響が如実に現れ、相当数の観客が踊りの印象とともにCDを購入していく。
今回は、KENTARO!!を直撃し、その作品性と音楽性、そして今後の行方について聞いてみた。


1、残る作品をつくっていきたい

ーkentaro!!くんといえば、ダンスだけじゃなくて作品の振付家でありイベントオーガナイザーであ、キュレーターでも活躍していますが、もともとはHIPHOPダンサーですよね?

小学校の頃にダンス甲子園を見てブレイクダンスをやりたくて、中学校の頃にダンス教室を見つけて、それ以来続けていますね。そこはブレイクダンスじゃなくて普通の立ち踊りでしたが。
仕事としてのレッスンはHIPHOPを教えています。たまに作品つくる時に関連して、HIPHOP以外のコンテンポラリーダンス的作品を作ったりもします。

ーコンテンポラリーダンスへの転機は?

以前はレッスンしたりたまに振付したり、ストリートダンスイベント(CLUBなど)で踊ってギャラをもらうというサイクルでした。
色々な仕事をしてきたんですが、それだと作品を残すことにならないと感じて。そんな時にソロダンスをやりはじめました。それからコンテンポラリーダンスが少し気になって、、。
観はじめたのは23,24歳ぐらいの頃。20歳の時にも勅使河原さんの舞台見て、その時は、「ヘンなダンスだなあ」と思って特になんに感じなかったんですが、何年か経ってまた色々見だしたら実は様々なダンスがあって。割と踊っている人の内面が出ているっていうのが、すごく新鮮で、、無音で踊ったりしてるのが、カルチャーショックでしたね。

ーHIPHOPだと、基本、音に合わせますよね。

踊らないところが、逆に良く見えたりするってことがあるっていうのが、演劇的でもあって勉強になりました。もともと、ワンマンライブをやりたいと思っていたのですが、構成するうえでは、瞬発的なショーだと間がもたないなので、すごく参考になりました。

ーコンテンポラリーダンスの中でHIPHOPって初めてでしょ?

HIPHOPという型をもっていて作品を作るダンサーとしては、一番認知していただいているとは思います。最初始めた頃は、どう評価していいか分からないとか、ただのHIPHOPだとか言われてそこから賞とかとって、やや変わっていきました。

ーダンス作品で一番大事にしていることは何ですか?

最近、その時々で変わっちゃうんですけど、1番思ったのは、コンテンポラリーダンスは踊れる作家と踊れない作家は違うなと。踊れる人がつくる作品は、踊りたいからつくっているわけで動きのあるもの、踊れない人がつくりたいものは動かないものという傾向がある。もちろん例外は沢山あります。で、どっちがいいのかなと思うと僕は単純に踊っていたいし作品もつくりたいんですけど、大事なのは、やりたいことをどれだけ伝えることができるかということなわけで、運動量も大事なんですけど、それをただ踊っているだけじゃなくて、どう作品に変換していけるかって事が大事です。

1時間ならショーではなく絶対作品にしたいですね。見終わった後に、楽しかっただけじゃなくて、物語じゃないですが、自分の人生を重ねてとらえられるものとか、、多分かっこいいとかだけだと、いまいち、そこが伝わらないですよね。そこを意識しています。
作品性と踊りたい衝動とのバランスですね。

後々残っていくダンスをつくるなら、テクニックとして残すというよりかは、最終的には作品を残したい。いまのうちに踊れる作品はつくって、40、50歳になったら、踊りはやってても踊らない作品とか映像作品とかバンドライブとか、そういうのも目指したいですね。