biodieseladventure

-いま(5月19日時点)被災地に一番必要なものは何ですか?-

雇用 と プライバシー空間の確保です。


仕事を失い、未だ先の見込みが立っていらっしゃらない方が大勢います。
まずは住むところの問題ですよね。仮設住宅が建ち始めたといっても全員が入居できているわけではないですし、基本的に2年で退去しなくてはなりません。その後、どうしたらいいのかという不安も抱えています。かといって他県の方々から移住のお誘いがあっても、故郷であり慣れ親しんだ街を離れたくない、行方不明の家族が見つかるまで離れることなど考えられない、という強い想いもある。
住居、雇用、そして復興。それぞれにまだ今後の課題を抱えています。
又、皆、毎日甚大な被災風景を目前に生活されていますので、精神的なダメージも大きく、長期に渡って心のケアが求められています。

-自立のための支援ということですね。街が壊滅し移動も限られ市の施設や職員さんも失った場所も多い中、方向性を出すにも目一杯な状況であると思います。そんな逼迫した状況の中、今後も山田さんは支援を続けていくのでしょうか?-

この活動を始めた当初は、約1ヶ月ぐらいでガソリンも流通をはじめ、僕の役目も終わるだろうと想っていました。その時点で終止符をうち、日本一周プロジェクトの続きへ戻ろうとも思っていたのですが、支援活動の内容は、減るどころかどんどん増えている状況です。やはり、震災当日からの状況を把握していますし、支援内容も刻々と変化するニーズに合わせて変化させてきました。人と人の繋がりも増えてきて、支援活動の内容も可能性も広がってきたのです。


そういった状況なので、今後は家を借り拠点を設けることで支援を続けていきたいと思っています。僕の活動は、NPO法人でも企業でもありません。個人や任意団体でどこまでできるかは定かではありませんが、今はまだできることも役に立つこともたくさんあると感じています。
例えば現在、地元のバンドマンやミュージシャンと交流をもっています。
楽器が流されてしまったため毎年開催しているイベントが開催できないという事情を聞いたので、楽器の支援を呼びかけ、音楽フェスティバルもしくは何かイベントをやろう!という話に少しずつ展開しています。
イベント時には楽器を送ってくださった方やミュージシャンも一緒になって参加して頂き、音楽祭ができればいいなと。たくさんの方々に来て頂く事で、地元にもお金が落ちるような形にできればと思いますし、商店街の人々も仕事を再開するきっかけにもなるかと思います。店舗を持てないとしても、仮設店舗などで営業できるたり、必要な道具も募ったり支援金で用意したり、そういった支援ができたらいいなと想います。
地元の方たちが仕事を始められるような「町づくりへのサポート」になることが理想です。


最後にもう1点。こうした災害が起こった時のためにも、災害に強い町づくりについても何か考えられないかと思っています。例えばある地区に、食料や自然/再生エネルギーを自給し、外にも供給できるような実験的施設(ビレッジ)のようなものを作る。そこにボランティアも入って、そうした自給自足/循環型の施設や暮らしを学び、かつ被災地に対して支援活動をしていく拠点になるようなものをつくれないのだろうかと考えています。もしも、今後また大きな自然災害があった際には、そこでつくったエネルギーを使って街に対しバックアップし支援するような形がつくれないか、ということを具体的に考えているところです。