Shunro_Yoshida

3.11
想定外に早いタイミングで変わるべき時期が来たような気がする

ー環境のことに取り組む場合、印象という意味で、「伝え方」って大事ですよね。

本当大事です。そういう意味で発足時から一緒に活動している矢谷左知子さん(注11)の存在は大きいです。彼女は柔らかく,平たくチャーミングなアプローチで伝えるのでその威力は絶大ですね。
(たまたま、矢谷さん本人が近くを歩いて通りかかって挨拶。)
素敵な草作家さんです。染め物だけでなく雑草で繊維をつくってるんですよね。洋服というよりはアート作品をつくっている。又、デザイナーでもあるので、トランジション関連でデザインしてもらっているものがいっぱいあります。

designed by Sachiko Yatani


ー可愛いですね。見たことあります。誰がデザインされたのかなと思っていました。

4年ぐらい前、葉山の遊歩道建設の反対運動をした。その際に、コンクリートの浜は要らないというメッセージで訴えたのですが、その際にデザインしてもらった猫の絵は本当よかった。環境のことを分かりやすく優しく伝えるのが凄く上手で、彼女はそれを使命にやっている。堅苦しくなく誰でも分かるように、かつ、ちょっとお洒落で、っていう。ちょっと視点を変えたスタンスをとれるんですよね、彼女は。
すごくいいなあと、いつも思います。
拳が、こうだんだん下がっていって笑顔になる。

ー発足以来、つながってきたトランジション。2011年3月震災が起こりました。ターニングポイントだったのでは?

まず、逗子鎌倉葉山、このトランジション活動しているエリアでも、動揺はあったのですが、茅ヶ崎などトランジションが実在していない地域から通っていた人たちは、震災後は、自分の住んでいる地域で運営したいという申し出があったりしました。
皆、真剣になりました。真剣な人たちばっかりです。以前は、「トランジション、、いずれやれたらいいですね」みたいな悠長な人たちが多かった。そのムードががらりと変わりました。

ー地震の時、俊郎さんはどうされていたのですか?

葉山にいたのですが、その頃は、丁度、上関原発の反対運動(注12)をしていた時期。原発の建設工事再始動日である21日に「ミツバチの羽音と地球の回転」の上映会チームが(原発稼働の)情報を聞きつけて大挙現場に向かいました。以来、日帰りで行って阻止する動きを、何度か繰り返していました。
そんな時地震が起こった。
岡田陽太はそこにずっと居座っていたのですが、福島の深刻な状況もあったし、coyaの根本きこさん(注13)たち2家族とまずは上関に向かった。
その後、僕達ともうひと家族は九州に向かった。2年前、トランジション南阿蘇を立ち上げた時から、ずっと通っていて、いずれそこで家を建てようと土地も買っていたんですよね。
元々、田んぼと畑と海、いわゆる”農的”な暮らしをしたいと思って葉山に来たのです。でも、なんか腑に落ちなくて自分独りでやることの限界もあって、、。自己満足だけじゃ間に合わないなと思っていた。そんな時、トランジションのことを知って、今住んでいるところでやれるからやろうと思ったんです。エコビレッジとかも考えていたんですけど、それは、お金も仲間もあって、そこに住むわけじゃないですか。それは、今やることじゃない。
いずれにせよ、もっと田舎に行かないと、農的暮らしは実現できないと思って場所はずっと探していました。そんな時、震災が起こりました。

ーなぜ、阿蘇だったのでしょう?

元々広いところが好きなんですよね。もうあそこは360度見渡せる感じで。屋久島とか沖縄とか山があって海もあるところを探してたんですけど、壮大だけどコミュニティ感がある阿蘇のポテンシャルに惹かれて落ち着いた感じです。
震災以降、結構な人数が阿蘇に移住してきました。

ー受入をオープンにしているんでしたよね。

行政は全くやっていないんですけど、パーマカルチャーやトランジション関係のコミュニティが受入をやっていて、移住してくる人もそこを目指してやってきます。
でも、軋轢はありますよ。あの人たちは呼んでもないのに来やがって(笑)、みたいな感じはある。時間がかかりますよね。
葉山だって、元々別荘族だったけど、オアシス(注14)の人たち等が、切り開いてきた側面もあるわけです。千葉の鴨川なんかもそう。阿蘇もこれからです。
田舎も変わらなきゃいけないんですよ。変わりたくないという人たちに遠慮してても時代は待ってくれないし、今の状況的には、本当変わらなきゃならないのです。ただ、田舎の人たちにそれをいっても埒があかないわけで、最大限敬意も配慮も払い、オープンな雰囲気でやっていきたいと思っています。ちゃんと、そこの地で生きて行く事を積み重ねていくしかないのです。
移住した人は、本気でエネルギーシフトしたいし生活を変えていきたいと思っています。

ー震災があって変わったという話しですが、ローカリゼーションという意味で地産地消という考え方自体が揺らいだ部分もあったかと思います。そのあたりは、どうお考えですか?

まず、移住した人は元々行動しようと思っていた人なんですよね。来年、再来年の予定が、今に変わっただけ。ただ、食の自給、エネルギーの自給については常に意識をもっていたものの、こういう状況を迎え、想定外に早いタイミングで変わるべき時期が来たような気がする。
ひとつひとつ具体的に考えていかないとなりません。お金もそうですね。なんか大きな変化があったら弱くなってしまんですよ、折れてしまうんですよ、お金も。本気で地域の中でお金を循環させることを考えなくてはいけないし、食もエネルギーも本気でやっていかないと、今のシステムに頼っているだけだと危うい 。

3.11 で「あ、思っていたより早いんだ。待ってくれないんだ。」って思ったはず。
経済危機も食料危機もエネルギー危機もいつ起こってもおかしくないって思った人が多いから、人が動き始めたのです。


Photo by Shunro Yoshida





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(注10):時津彩子さん。ごみ減らし隊として葉山町のゴミの問題を精力的に取り組んでいる仲間。

(注11):野生の草から糸をつくり布を織る草作家。素材は、自分の居る環境に、自分より以前から居る、草、葉っぱ、木の実。 それらを季節ごとに採集して糸をつくったり染めたり。そこに在るものでやる、ということを主題に自然の智慧を継ぐものつくりを意識して活動。 古くから続いてきた『草文化』を継ぎ、次の人へ伝えるべく、個展などを展開。

(注12):山口県上関原発が排出する汚水が、生物に与える影響に対する抗議運動。2011年から開始。

(注13):フードコーディネーター/ライター。東日本大震災後、逗子で営んでいたレストランcoyaをクローズドし、家族で沖縄に移住自給自足の生活を歩んでいる。

(注14):葉山森戸海岸で30年以上続く海の家。別荘文化が主であった葉山で、ナチュラル指向の新たなカルチャーをつくってきた存在。現在、オアシス代表 朝山正和さんは、葉山芸術祭の実行委員も兼ねる。