un_yamada


小学校2年生から毎日書き続けた日記、いまも続く圧倒的なコトバの量





ーうんさんの特徴のひとつとして、TwitterやBlogの量、文章を書く量が圧倒的に多い。昔からですか?

昔から。本当書くのが好きで小学校2年生の時から30歳ぐらいまでほぼ毎日書かさずに日記みたいのを書いてたんですよ。実際に在ったことを書くのではなく、頭の中であったけど言わなかったこととか、今日考えたこととか、もしかしてこういうことがあるかもしれないとか、空想と現実と全部混ざっているんだけど、何十年もずっと書いてました。

ーカラダに根ざした内容が多いですよね?具体的なところからコトバが起きてきているような気がします。

全部実体験で。痛い事、嬉しいこと、抽象的なこと、すべて実体験で、何かを読んで知ったことや誰かに言われて気づいたことではなくカラダの中で起こったことを言葉にしています。

ー書くとどうなるんですか?習慣みたいなもの?

そう、なんのために書いてたっていうのはないし、でも特定の誰かに向けて書いてたわけでもなくて、でも誰かがきっと、そうだよね!っていってくれていることを信じて書いてた感じ。ひたすら書いてた。暗い!(笑)。実家に恐ろしい数の日記帳があるはず。
今は今で、Twitterみたいな書き言葉と喋り言葉のちょうど中間のツールがあることで私自身がダンスと言葉を行き来しやすくなってるんじゃないかなあって、、そういう育てられているような感覚もありますね。

でも、本当、昔は誰にも見せないように呼吸をするように文を書いていて、また書いてみたいなーって思っている時に、「DECTEE」に出会った。変な本で、私がつくるんだったら、こういう本なっちゃうよねって思う。なんかほらエッセイじゃないといけないとか小説じゃないといけないとか、そういうルールを超えた自由な本にしたいですね。




人が生きていく力が弱くなっていることのほうがコワイ
カラダもコトバも、もっともっとバラバラに自由になれ!!

ー言葉と踊りの間には何がありますか?その関連性は?

言葉は自分の記憶や経験から湧き出て来るものだけど、踊りは湧き出るというよりも先から降って来る(笑)。自分から出て来るものだけじゃないんですよね。こっちだよーって言われている感じで動くみたいな。何かに導かれている感じがする。言葉と踊りって向きが逆なんですよね。その逆を行ったり来たりすることが、柔らかいものをぎゅっと確信的なものにしていくような気がします。私の中では両方とも快感なんです。
踊っていて言葉を発見することもあれば、言葉の中からふっとその時踊りたくなることもある。両極端なものが凄く大事なような気がして。

ー今、一番興味もっていることは何ですか?

やっぱり、コトバには興味があるかもしれない。
震災があったりしたこともあるけど、私たちみんな、何かを表す力が弱いと思っていて、、自分の踊りがいまいちだなあって思うのも、最近面白い舞台ないなあって思うのも、何かを表す力が圧倒的に弱くなってる。そこをなんとかしたい!ってすごく思うんですよね。

ー震災とか大きな事件があると、事実のほうが強くなってしまって、コトバが自由じゃなくなるっていうか、、

そうそう。でもそれって、周りじゃなくって自分の中で規制をかけてるんですよね。
ショックなことが起こると自己規制が働く。それでもっともっと自由を奪っている。
最近読んだ本で原爆の後書かれた本とか読むと、写真もないのにリアルな描写をする人がいるんですよ。そういうものと接した時に、その表現力があれば私たちが言わなかったこととか伝えなくてはいけなかったことがいっぱいあるんじゃないかって思う。
皆、困っているわけじゃない。この時代に。私も東北にいっても思うし。(仙台の)親戚に会っても思うし。だけど分からないことを分からないまま抱えているだけじゃダメで。保留にしておくだけでもダメで。分かった気になるのも忘れてしまうのもダメで。そのどれもこれも苦手な科目を勉強するみたいに、自分の中で噛み砕いて何度も何度も行ったり来たりしながら何か形にしていきたいとすごく思っています。
特に日本にいると、福島の人の感じと九州にいる時の感じと全然違ってて同じ日本とは思えないぐらいの温度差があって。私は両方自分の中に持っていて、どっちも大好きだし、どっちも抱きしめたくなって、どっちも肯定できるんだけど。

ーそこをつなぐものって、やはり規制がかかっていて、言っていい事悪いことってのがあって、その伝え方の部分で、もっと自由なやりとりを見つけなくてはならないと本当に思っています。

そうそう、だから放射能が、、ってことよりも、何か人が生きていく力が弱くなっていることのほうが怖いんですよね。震災が起きた時に、津波の事実よりも、人が津波以上のものになれないようなひ弱な発想の中でバランスをとっていってしまうことのほうがすごく恐ろしくて。
だから、自分の人生では解決できないことでも、何か自分がほんの少し、その先の先ぐらいに、新しい考え方とか道とか、つくっていいんだよっ!!ていえるきっかけになれるといいなって思っています。
うまくいえないけど、絆とかありきたりの言葉にしたくないし、団結しようよでもなくって個人個人が、言葉にしても何にしても持たなくていけなくって。
こういう時だから団結するのではなく、ひとりひとりがもっとバラバラになって、言いたい事が言えるようになるようにしないと、自分が書いた日記を読んでくれる人に出会えないような気がしていて(笑)。別に出会うために生きているわけじゃないけど、誰かのためにそうやって訳の分からない事を少しでも分かりたいって思う。