OASIS_Masakazu_ASAYAMA

OASIS @flickr

「東北でオアシスへやってもいいね」

 いろんな話ありますよ。沖縄でOASISやらないかとか、、。個人的には台湾でやってみたいとか。ただ、その地域と懇意にならないと面白くならないからね。

ー イベントに終わっちゃいますもんねー

 単発のイベントでは、何も伝えられないじゃないですか。どうせやるなら濃くつながりたいです。

ー 現地に住む誰かが言い出しっぺになり、朝山さんがノウハウを提供できればよいのでしょうね。

 じっくり提供できればね。今は本当、東北でやりたいと思ってますもんね。何かの形でね。

ー よいですね。毎日海を見てるのと瓦礫見てるのでは全く違うと思うんです。

 重い表現にしないようにやりたいですよね。海の家なんて最適だと思うんですけど。オアシスを持ち込めたらきっと楽しいですよ。

 和歌山にバグースという似たような海の家があって。旅館の地下が浜に繋がっていて、そのスペースでやってるんですけど。桑名晴子(*注)さんが橋渡し役になって、今も交流しています。ヒョウタンスピーカーシステムをPAとして持っていったり、ミュージシャンを派遣したりして。そこも旅館組合というベースがあるから今も成り立っています。そういう地域の力と組み合わされば存在できると思うんですよ。東北でも、そういう地域の土着のネットワークと共にでできたらと思います。




「時代を呼吸すること」

ー 葉山芸術祭に関わりはじめたのはいつ頃からですか?

 18年前、声がかかって主催することにしました。OASISを続けてきた背景があったから、あまり重荷だとは思わず、ひきうけたんですが。それまでの芸術祭は、主催者が音楽コンサートやって、赤字になってどうしよう?というような質でした。

ー 今のような形態になったのは、朝山さんが変えたわけですね?

 そうですね。2年連続で赤字を抱えていたので、まずは収支の考え方を根本的に変えましょうと。芸術祭の主催側がなにもかも企画制作するというより、町民に企画を募るというスタイルにしました。主催者はその企画群をパンフにまとめ、広く告知する役に徹する。そうすれば主催側が少ないスタッフでもできるし、収支の計算が立ち破綻がないはずと目論みました。葉山の新聞販売店さんたちの協力を得て、パンフレットを新聞折込にしました。

 フレーム入の「芸術」を陳列、鑑賞するより、隣人の作品が地域に流通したらどうなるんだろうという興味が元にありました。家の中のフォークアートが、違う質に変化するかもしれない。作品を介して新たな関係が生まれるかもしれない。等々思って始めました。

ー これからの見通しを聞かせてください

 規模的な拡大が続き、パンフが厚くなって、もう十年前に新聞折り込みも諦めたし。パンフ編集だけでもかなりな作業となり。一色の森山神社のイベントも拡大。

 それと共に、多くの成果を地域にもたらしたと思います。で、もっともっと…とすればよいのでしょうか?そこに疑問を持ち始めています。来年は20年目です。それを機に、芸術祭の仕立て直しを望んでいます。また一昨年から、県近美・葉山館との協働作業に向けたミーティングが続いていて、その経験の中で「葉山芸術祭」の本質的な役割を見直さざるを得ないように学習してます。

 また他地域の主催グループの参加、葉山町でない行政からの要請、作り手の繋がりの中で、逗子、鎌倉、金沢文庫、大磯と地域が拡がっていくことも、そのなかで何が出来るか、どうお世話できるか等々。葉山芸術祭を種にした嬉しい悩みもあり、それは同時に文化的興味でもあり、尽きないですね。