BEACH_in_HAYAMA

BEACH設立 - 既存のフィットネスへの疑問 そして葉山の豊かな自然の発見 –

-この場所に行き着くまでの経緯を教えてください-

昔は、藤沢市の総合病院に勤務して鵠沼海岸に住んでいました。会社員ですね。人ひとりが健康になったらいいなと思いながら 予防医学に従事していました。
でも、休みの日はカリフォルニアとか、本当にいい波を求めて出かけた。サンディエゴやオーストラリアの辺境の晴天率の高い小さな街ばっかり。何度も何度もいくうちに、アウトドアがなしには成立しないライフスタイルをいっぱい見てきたのです。このことが後々のBEACH設立につながります。

そんな生活を続けているうち、15年前がピークだった、室内のいわゆる大型フィットネスに疑問を感じはじめていました。健康=フィットネスみたいな。室内で何かするのはゲームセンターみたいな感じかなと限界を感じていました。せいいっぱい内容をアレンジして会員のモチベーションを高めていったとしても限りはあって、せいぜい続くのが3年ぐらい。通ってる期間は健康だったのにやめると元に戻ってしまう。(はじめは健康になりたくて始めたのに)本末転倒な結果に矛盾点を感じていました。

僕は小さくてもいいから長く続けられる生涯スポーツを目指したクラブをやりたいと思いはじめました。
日本の中ではアウトドアをレジャー(非日常)としてとらえがちな風習があるので、なんとか日常の中にアウトドアを取り込みたかった。自然に健康づくりできるきっかけを与えられるクラブでありコミュニティになればいいと思ったんです。

どうしても、閉塞的な空間だと、いつのまにか、みんな、こうしなければならない、いかなきゃっていう義務感になってしまう。そういうものを取っ払って、もっと自由でもっと気持ちよくて、気づいたら数値が追いついてきたみたいな。サーフィンで波追いかけてたら、スピードを楽しく競ってたら体脂肪が落ちてたみたいな爽快感とか、人と人の繋がった一体感とか。そういうものを、やっぱりモチベーションにもっていかないと、生涯スポーツになっていかないなと思ったんですよね。病院にいるときから、ずっとそのイメージを持ったまま働いていたんです。

設立に至っては、もうひとつ感じていたことがあって。その時住んでいた鵠沼地区、鎌倉地区ってのが、少しごちゃごちゃしてきちゃったんですね。東京渋谷のキャットストリートもそうですが、最初は小さいクリエーターさんたちがひっそりお店を出すのが魅力的で、人が集まってくるものだから、大手が全部買っちゃって全く面白くないエリアになってしまった。
同様に、鵠沼や茅ヶ崎もそういうサーフィンのメディアとかライフスタイル雑誌とか、ああいう後押しがあってブランド化してしまった。見事にすべて商業施設、海の家も、いろんな企業が参入してごっちゃごちゃ。僕は、ここにいられないなとプライベートで嫌になってしまった。それで葉山に引越してきました。しばらくここから病院に通ってました。
ところがある時、点と点がつながって、カリフォルニアのライフスタイルと僕のイメージしていたものが葉山でできるかもしれないと思いはじめたんです。

綺麗な海があって、背後に山があって近くて、街なんてその間に挟まれているだけ。さらにそこにクラブがぽつんとあれば、まさに、海にも山にも行けて季節の変動も乗り越えてスタジオひとつあれば面白くいけるかもしれないって思えた。こんな素晴らしいことないなと。

全部のイメージがペタペタペタと貼り合わさってしまってできちゃったんですね。それで出来たのが、今のクラブです。丁度4年前ですね。