Hiroshi_Sakuma

「異文化がとけ込んだ土地」
ー御用邸を抜きには語れない葉山の歴史とその魅力についてー

大正時代の森戸神社。手前が真名瀬海岸。奥が森戸海岸

ー生粋の葉山人である、佐久間さんから見た葉山の魅力はどんなところですか?ー

地形的には、葉山は斜面緑地が多いのがいいとこ。人が夏以外来ないし。ひっそりしてるからいい。
なんでも、御用邸中心、ピラミッドの頂点なんですよ。皇室に遠慮しながらやるから守られたと思う。昭和46年、街の半分以上の土地が市街化調整区域になったから。(大規模な開発はNG)それがなきゃ、10万都市になってたはず。今の雰囲気は出てないだろうな。
戦前まで皇室と政・財界の別荘が500軒以上もあって。明治27年に御用邸ができた。当時は、幕末の志士なんかも第二の家をもってた。その外側周辺に財閥が住む別荘。葉山は別荘文化なのです。 御用邸を取り囲む形で財界の人が集まってきた。食べてるものも着るものもトップクラス。
日影茶屋(※注2)とか350年やってる。SUZUKIYA(※注3)も明治の頃から。ヨウモク吸いたいとか洋酒とかオーダーに応える。そういう時の◎○家の料理人は、昔、某ホテルの一流シェフだったりとか、、。
いろんな物語がある。コロッケのレシピもそういうところから教わった。カニクリームコロッケとかね。アイスクリームの作り方とかね。おふくろも洋裁やってて。結婚式でドレスつくってくれとか。どこそこの令嬢とか。ミシンだけで商売できた時代。
異文化がちりばめられてるところが面白い。
明治維新以降の流れに影響を受ける形で自然な流れで出来上がってきたんだよね。

 

ー子供と頃と比べた変化はー

いろんな変化があったね。まずは、町中の緑が大分減った。マンションが建って景色が悪くなったし。航空写真見れば歴然と分かる。建物や風景も激変したね。コニーランド(※注4)、渚ホテル(※注5)、養神亭(※注6)、、。逗子海岸なんて、レトロな雰囲気でよかった。 道路がないからビーチが広かった。 ビーチフロントは外人の別荘がずらり。
葉山マリーナ内にも 6階建てのホテルがあった。プールが2つあってね。 時代はベンチャーズの頃。真っ赤なオープンカーで俳優が毎週来る。 ボーリング場が8レーン。ピンボール、(日本中で爆発的に流行った)スロットレーシングとかあってね。 東京から来るやつが、また、うまいんだ。俺も一生懸命うまくなりたくてさ。毎日観に行ってた。ボーリングやるのに1時間待ってたからね。 夏はここでイベント。 コンサートもしょっちゅうやってた。 VANジャケット全盛。アイビーだね。整髪料はバイタリスにMG5。外人の別荘がいっぱい。土日になると格好いいクルーザーが出てくる。64年~70年前半ぐらい。また、米兵の住み方がお洒落だったね。シンプルなアイビーでキメてて、 体ができてるしね。カリフォルニアのBIG WEDNESDAYのマッドジョンソンみたいな。 兵隊の文化。とにかく、カッコ良かった。
ベトナム戦争まっただ中の頃。 航空母艦に3000人ぐらい乗ってて横須賀に来る訳でしょ。家族入れると10000人。一大産業ですよ。基地のある横須賀はファッション早かった。どぶ板通り(※注7)にドギツイバーがいっぱいあってね。店の名前もネバダとかカンサズとか、強烈(笑)。当時1ドル=360円だからGIもお金使い放題。結局彼らのファッショみてマネしてたんだから。海岸のビーチパーティもイグローのBBQグリルと同じくイグローのバカでっかいクーラーBOXにキンキンに冷えた山のようなビール。それも、バドワイザーやシュルツなのね。向こうのビール。貰ってよく飲んでたな(笑)葉山は、彼らにとっての別荘地でもあり、俺たちは周辺のいいものだけもらって楽しんでたんだよね!…。

 

Photo by Hiroshi Sakuma at HAYAMA

「幕末の志士たちも、この海を見ていたに違いない」




(注2:) 350年前の江戸時代中期に葉山で創業し今も続く老舗の料理屋。大杉栄の日影茶屋事件でも有名。

(注3:) 逗子市で1902年に創業し、神奈川県にスーパーマーケットチェーン(スズキヤ・エスパティオ)を、関東地方に雑貨専門店(置地廣場・デイリープラス)を店舗展開する企業

(注4:) 逗子市海岸沿いにあった夏期だけオープンしていた遊園地。映画「狂った果実」の舞台として知られる。

(注5:) 大正15年に湘南唯一の洋式ホテルとしてオープン。昭和とともに歩んできたレトロなたたずまいは、皇族の御宿でもあり戦争・終戦・米軍接収という激動の波をくぐり抜けながら、多くの文化人に愛され65年間続いた。

(注6:) 逗子・田越川 渚橋たもとにあった保養地の逗子・葉山を代表する由緒ある旅館。1888年開業。1929年12月の大正天皇の崩御の時期には、政府の大臣たちがこの養神亭に宿泊して天皇に仕えたことや、徳富蘆花が執筆のために逗留していたことで有名

(注7:) 横須賀市中心部にあるアメリカンな色彩の濃い商店街である。スカジャンの発祥地として有名。戦前、この通りの中央に流れていたどぶ川を、通行の妨げとなるため海軍工廠より厚い鉄板を提供してもらい蓋をしたことから「どぶ板通り」と呼ばれるようになった。