– 私も被災地から帰ってくると実際に体験していない人にどう伝えていいのか、あるいは伝えないほうがいいのかとか、その情報の伝え方共通の仕方に頭を悩ませます。まさに本日のワークショップの内容であったかも知れませんね。そういう意味で、まずは、一旦フラットな空間をつくり効果的な対話モードをつくることが、復興以前に求められていますね。-
そうですね。
日本では、問題があったら解決する方向にすぐ向かう性質もありますが、
情報をシェアするとかお互いの意見をいい合う、なんというか揉む時間が必要なんですね。
きっとこんな未曾有のことですから誰も経験がないけれども、いわゆるDIDも必要な要素である ”ひとりでは生きていけないんだけれども隣の人を実感しそれぞれの立場で助け合えばたぶん解決できないことはないというシュミレータなのだと思うのです。
たとえ小さなことでも大きなことでも、そこのニュートラルな、、
例えば車がある程度のスピードで走っていて急にバックにギアチェンジすると車は破壊されますよね。だから一度ニュートラルに戻さなきゃいけないんですよね。TOPスピードからニュートラルに戻して安定期になってからバックしないと本当に大変なことになります。ニュートラルが重要です。
しかしながら、
運転者(被災者)は、よかれと思ってやることですから悪意がなく無意識であることで非常にいろんなことが起こりうるような気がします。
– 実際被災地では戦争を経験された方ほど強いです。
「皆贅沢しすぎたんだから、又みんな助け合って0からやり直せばいいんだから!」と逞しく語るお年寄りの方も多くいて勇気づけられました。日本全体が、そうしたリセットモードから立ち上がるべきと考えます。-
でも、気をつけないといけないことは、今まだ2ヶ月が経過したばかりですが、3ヶ月、6ヶ月、1年と経過するにつれて、やっぱり忘れるモードに入る可能性も高いです。たぶんこれは、日本人が”水に流す文化”であったり
”見ない事にする”ような風潮も持ち合わせていることに起因しするかと思われます。戦後、実はDIDはドイツから入ってきたので比べるのですが、
戦後の日本とドイツの過ごし方ではかなり異なります。エネルギーについてもドイツが選択していることと日本が選択していることには大きな違いがある。その背景にあるのは、ドイツの場合は起きたことを反省するニュートラルな時間をもったのに対し、日本の場合は、どちらかというと何が起きたかを検証する前に走り出すことを選択し走り出すと、もともと走ることが得意な性質があるので高度成長期を驀進し、その過程で人の幸せが極端な方向になびいたんですよね。大きな無駄とか弱いけれどもなくてはならないことを効率主義の中で閉じてしまったようです。そこでこの3・11を機会として新しい社会の構築を目指し、この問題にどう目を向けどう再生するかってことだと思うのです。
例えば2007年にユニセフが世界中の子供たちに幸福度調査をしました。
日本と比べて全く物資もハードもない子供達よりも日本の子供達の得点が高いところがあって、それは、子供達が孤独であるということ。世界で一番孤独なんですよね。実は、同様の調査を成人男性にとった際にも日本人の成人男性に同様の結果がでていました。
よかれと思って皆突っ走ったけれども、人を孤独にさせるような社会の仕組み、自分が自分がとか形ばかり追いかけたとか、そういうことで失ったものは若干あって、そこを今回の震災は明確に教えてくれています。
これは、忘れていい事と忘れてはいけないことを明確に区別して、忘れてはいけないことは目に見える形にしていかないと今回亡くなられた方々への弔いはできないんですよね。
又、3万人の死者行方不明者が出た今回の災害のツケを未来の子ども達に引き継ぐわけにはいかないわけで大人が何かで解決しなくてはいけない。
その解決の方法は一足飛びにはいかないけれども、ダイアログという人が対話する場があって、そこで様々な人々が集うことが社会のインフラとしてあれば、その解決のきっかけになるはずなんですよ。
ですからDIDも東京だけにある必要はなく各地にあってもいいわけで、各地の場合は、その場所の文化がその場所で体験できるとか。
先日福島の喜多方でDIDを実施した時は、蔵を真っ暗にしましてワークショップをしてきました。そこで喜多方のモノを食べたり触ったりしてみると土着の愛着が生まれるので、当たり前にあったからそこでは気づかなかったんだけど、実は美しい美味しいものが再発見できるわけです。方言だけでも美しい。
そうなってくると、東京などからもその文化を体験しに行く人も確実に出てくるように思われます。
これまでように金太郎飴的に拡大するのではなく、それぞれの文化を暗闇で楽しむ機会になればと思いますね。単純に暗闇で地酒なんて楽しいじゃないすか!