– 暗闇というと人によってはネガティブな印象があったり不安な要素を多々感じるかと思うのですが、先ほどのWORKSHOP後、アテンドのひとりである檜山さんが言われたように、”暗い”から不安なのではなく”分からない、情報が把握できない”から不安なんだと言われていたのが印象に残りました。
(私自身、今回4回目の体験だったのですが、)今都市部でも商店を中心にだいたい地震前の7割ぐらいの照明に落ちているわけですが、逆に、無くなることで分かる、気づくことがあるなあと思えており、DIDの暗闇でのコミュニケーションを伝える役割が重要であるかのように思えます。-
アテンドたちもあの日に何を考えたかっていうと要は計画停電になって世の中が暗くなりまたよね。たぶん若い方々にとっては停電なんて初めての経験なんですよね。テレビが映らないとか照明は暗くなるという経験はなかったはずです。じゃ、停電の時にどうやってその暗闇を楽しく過ごすかってことは知らないんですよね。アテンドたちはTwitter上で、自分たちはずっと停電で過ごしているんだから、こういうふうに動けば安心ですよとか発信したわけです。例えば懐中電灯使わなくても、例えば塩と砂糖を区別するのに片方に輪ゴムをつけておけば、それだけで区別できるんだよとか。そういう彼らが普段当たり前にしていることを発信したわけです。そうすると、これもああそうか!ってことばかりなんですよ。お互いの特長が活かされることを12年続けていてよかったなあとつくづく思いました。
普段のDIDは、どちらかというと五感を再生し”感じる”っていうことがメインテーマなんですけど、今日受けて頂いたEMERGENCY WORKSHOPはストレスフルな環境の中で時間も情報も限られている中で、どう冷静にそれぞれの個性を統合しコミュニケーションをとりチームワークをとって最も安全に楽しくその場を生き抜くかってことが求められるミッションだったのですね。
– まさに被災時での対応に求められることですよね〜 –
で、この経験が緊急災害時に必要なスキルと、面白いのは、今ビジネスにおいて…ビジネスも先が見えないわけですから、方程式なない中でどうやってディベロップでありブレイクスルーするかという能力が実は同じなんです。
ビジネスのセンスと災害時のセンスは実は共通している。
共通するのであれば、我々が暗闇の中でミッションをこなすワークショップがビジネスマンにも提供できるのではないかと思い、森ビルの森社長にもご理解頂く事でここでの開催に至ったわけです。
10日間やってみて逆にいろんな事を参加者から学びました。
– 私が感じたのは、いつものDIDの際の、視覚を遮断することで他の感覚
の機能を拡張するですとか暗い中での手の感覚による情報のやりとりは大事だという部分はいつもと変わらないものの、脳を非常に駆使しないと乗り切れない時間 という部分が特徴であったと感じました。-
例えば到達イメージとか共通なビジョンとか共通なものさしとか、自分は伝えているつもりでも相手に伝わっていないとか、常識は非常識だったりとか、、、そういうことって明るい中であれば、おいこれやっといて!で通じるわけですが、暗闇や災害時には、”コレ”の価値観や意味はバラバラな訳です。経験、尺度、価値観の違いがあらわに出ます。
だから面白いと思うのは、本当にダイバーシティというか多様性を認めながらもどうどれを合意形成して短期間で到達していくかっていうプロセスが、
おっしゃったように、通常のDIDとは違う脳を使うんですよね。脳が活性化しますよね。
で、私からの願いですが、
暗闇の中で気づいたことは日常的に活かして欲しいということ。
地震はないほうがいいに決まっている訳ですが、このスキルは平時に利用することもできますし、 今回多くの被害を受け多くの人命を失った地域でも、暗闇を利用することで人と人がフラットな関係でコミュニケーションすることで、未来のこととか子供のこととか自分たちが選択していくことを正しく話し合える時間として暗闇は提供できるんじゃないかなあと思っているんですね。
- 私も3度被災地には行ったのですが、震災直後と一週間後、二週間後、一ヶ月後、そして現在とはまるっきり被災者のニーズを変化してきておりまして、今は心のケア、癒しが求められているような気がしています。
先日も被災地でメイクアップーティストさんによる擁護施設職員の方々への化粧を施すワークショップやマッサージ師による癒しの施しを見てきましたが、それらを経験することで自分だけの時間、自分に集中できる時間が初めてできたようで被災者の方々は非常に喜び盛り上がっていました。そういうフラットな時間を得ることは積み重なった疲労や心労を癒しリセットする機能もありとても重要に思えました。是非、暗闇の不安感ではなく安心感という面を強調し被災者の方に体験していただたらよいですね。-
それは、被災者だけに該当するわけではなく、こちらから被災地に出向きボランティア活動をされている方々にも有効に思えます。やはり共通のものさしが必要です。
どちらかが片方を助けるという関係性であると何も前進しないような気がします。加害者とか被害者ではなくて、それぞれがこの問題に直面してどう思うかどう動けばいいかということをフラットな空間で誰を責めることもなく
自然を責めることもなく、人が震災をどう受け取りどう学び未来をどうつくっていったらよいかっていう時間が必要なんですね、今。