Archive for 2012年3月23日

[NU;cafe] 山田うんさんのインタビューを掲載

2012/3/23

特集「つなぐ人」ひとり目は、今、コンテンポラリーダンス界でノリノリの山田うんさんを紹介。


「カラダに眠るカラフルな言葉、明日のためのリアル」
http://nu-life.jp/?p=2292


この人は、本当にカラフルで饒舌なカラダとコトバを持っています。
カラダとコトバと両サイドから的確でキレキレ、説得力のある表現をします。

活動の領域も広い。

人間力を感じます。

どうぞご覧ください。


又、インタビュー内で取り上げられているカンパニーの公演「季節のない街」
現在、北九州で公演中です。
東京では絶賛でした。

こちらのほうも、どうぞ見逃し無く!


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Co.山田うん「季節のない街」 北九州公演

振付 構成 演出:山田うん

出演 :
ダンス 荒悠平 伊藤知奈美 飯森沙百合 川合ロン 木原浩太 佐々木崇仁
    城俊彦 広末知沙 長谷川暢 藤原治 三田瑶子 山田うん

トーク 山田うん、森田真生(独立研究者/数学)

2012
3.24(土)16:00 *完売しました*   25(日)14:00
※当日券は各回1時間前から会場受付にて販売いたします。

※開場は開演の30分前。
※24日公演終了後、アフタートークあり

会場:北九州芸術劇場 小劇場  https://yyk1.ka-ruku.com/kicpac/



詳細は、こちらのカンパニーHPより
http://coyamadaun.main.jp/web/?page_id=168

issue-004 つなぐ人

2012/3/19

本当に必要なことと必要でないこと、
それがなくても生活できてしまうこと、それがなくては前に進めないこと、
あの日以降、「後回しでいいや、、」が逃れられない問題に直面してしまうことを
知ってしまった。

明日、あるいは、今ここから動けることがある。
小さくても些細でも、気づいていなかっただけで実は、大きなステップになり得る。

より深い実感と共感、そして行動
時代も個人も、より本質的で開かれた感覚と具体的な力を必要としている。
その輪の起点となってポジティブなエネルギーを発信している人を各分野より連続的に紹介する。

(さらに…)

un_yamada

2012/3/14

特集 「つなぐ人」ver.001

カラダに眠るカラフルなコトバ、明日のためのリアル

山田うん ダンサー/コレオグラファー

今日は東京、明日は福島、あさっては、パリ、そして福岡….。山田うんのダンスは独自のカラフルなコーディネーションとともに不規則な起伏を回り道しながらも最短距離で平然と移動する。踊っていない時も、独特のうん節が、ブログやTwitterを経由して、やはり直感的に今この瞬間のカラダと心と環境のせめぎあいを直感的に伝える。彼女はカラダの人でありコトバの人。コトバでも踊りカラダでも喋る。幼少の頃から、その深い往復を楽しんでいる。
そして、活躍の場は舞台空間だけではない、数学者や科学者とのセッション、全国の学校での数々のワークショッップや共同制作、オリジナルコスチュームの開発。。。面白いのは、そのオープンマインドなスタイルに対して、つぎつぎと人が引っ張られていくこと。
押し付けがましくもなく謙遜もしていない。カラダとコトバが直結したフラットな地点にしか生まれない強い説得力は痛快であり、明るい振動をともなって我々の中のまだ出会えぬ自分を目覚めさせる。



民謡→器械体操→水泳Jrオリンピック選手→交通事故→リウマチ→不登校→モダンバレエ→一流企業→NY→塾講師主任→劇場の制作→フランス行き…..なんのこっちゃ??
ダンサー山田うん誕生までの、てんてこまいな生き方

ーダンサーになった経緯を聞いてもいいですか?

小学校2年生の時に、学校のおじいちゃんの先生が民謡を教えていて、やってみたら「これだ!」と確信し民謡をはじめました。そのおじいちゃんのソーラン節みたいな踊りが本当にカッコよくて勢いで小学校2年生の時に民謡をやる倶楽部に入ってしまったんですよ。
ところが、練習していたら、たまたま隣の体育館で器械体操をやっていた人たちがいて、ピョンピョン跳ねたりとか楽しそうで民謡よりたくさん動いてるなあと思って。小学校3年生からそっちに入ることにした(笑)それから器械体操の大会出たりとか。あと水泳もやっていて、Jrオリンピックに出たりしもていた。
5年生の時に交通事故にあった。車が廃車になってしまうような大きな交通事故。器械体操の練習が一切できなくなって。。。ライバル達は上に上がっていくのに何にも出来ない自分に苛立ちを感じていた。入った中学校には器械体操部がなかったりもしたんです。
そんな頃、突然関節リウマチが発病してしまった。痛くて朝起きれない。熱が出る。そんな毎日が続いた(リウマチは今でも続いている)。 雨の日になるともっと動けない。
学校にもだんだん行きたくなくなってきて、さぼったり、補導されたりもしていた。エネルギーを持て余していたわけです。だって学校行かないのヤンキーしかいないじゃない(笑)?スポーツが何もできないし学校にも行けない。そしてグレはじめた。捕まったり呼出しされたりばっかりしていて、、。ただ、医者からは、リウマチが悪化するから何か体を動かしたほうがいいと言われて。スポーツは余りにも負荷がかかるので踊りを始めました。

ー運動はリウマチにいいのですか?

痛いけど軽い運動はリウマチの進行を食い止める効果があるらしく無理なく動かせる程度の体操はしなさいといわれていた。私が悪い事ばっかりしてたこともあって、母が、「これはまずいっ」てことで、いきなり週5回ぐらい練習するバレエ教室に入れられた(軽くない…笑)。茅ヶ崎のモダンバレエの教室「山崎体育舞踊学院」です。厳しいバレエ教室で、バレエだけでなく礼儀作法とか品行方正マナーを学んだ。そこの先生は、 「踊りだけ練習しててもいいダンサーになれないの。生きる事そのものがダンスなのよ。」みたいなことを教えてくれた。
中学2年生の時。ダンスとの出会い。
始めたのはいいけど、最初から人の振付を踊るのがあまり好きじゃなかったし、カラダの関節がやっぱり痛いので、とても練習が嫌だったしダンスに全然興味をもてなかった。でも踊ることがリハビリでもあったし続けないとカラダの状態が悪化する思ったから、ほとんど脅迫観念みたいな形で大人になるまでずっと続けました。そして、短大行って会社に入ってOLになった。

ー.え….会社入った?

そう(笑)某一流証券会社。ダンスを続けながら4年間働きました。丁度バブル崩壊の頃。その後に起きてしまった事へのクレーム対応が、とにかく大変でした。他の社員も労働が辛くて病気になってどんどん辞めていった。私も辛くて辛くて…、仕事して呑んで仕事して呑んでみたいな生活。アルコール依存症だったんですよ。そしたら、膵臓とか肝臓とかがやられてきた。お酒辞めますか?人生やめますか?みたいな感じ。でもダンスだけは続けていた。

丁度、ピナバウシュとかローザスとかが日本で公演し始めた時期。
彼女たちのダンスを観て、「こんなに自由にダンスやっていいんだあっ」て感激しましたが、自分をそこに重ねてはいけないし重ねるべきではないとも思っていました。山海塾とか暗黒舞踏も知っていた。中学高校と本が大好きで、太宰治とか寺山修司の詩を読んだりしてたこともあり文学や演劇にも興味はかなりありましたが、自分と無関係な世界だと思っていました。
ところが24歳の頃、なぜか、その点と点が突然線になったような気がした。
どうせなら自分のカラダを使って探してみたいと急遽会社を辞め、翌日にはニューヨークに飛び立った。ニューヨークでは、毎日毎日レッスンに通った。マース・カニングハムスクールとか、リモンテクニックとか、アルビンエイリースタジオとか。夜は、ジョイスシアターに通ったりして、ニューヨークのダンスシーンを見まくりました。ビザなしで3ヶ月の滞在。しかし、ワークショップ行ったり公演ばかり見にいってたら、お金がなくなって栄養失調気味に。胃潰瘍が3つできて、結局日本に強制送還(笑)。